こんにちは、新潟トラベルです。
- 過去4回に引き続き、名無しの権兵衛が過去添乗で訪れた観光地の写真を基に拙い絵を描いてみました。
- ※第1弾、第2弾、第3弾、第4弾はこちらからご覧ください。
さて、今回の絵はどこの国かお分かりでしょうか?
- 巨大なユーラシア大陸の西の果て。
- 北緯38度47分、西経9度30分、高さ140mの断崖の上に、詩人カモンイスが詠んだ詩の一節を刻んだ石碑がポツンと立っています。
- 『ここに地果て、海始まる』。
- 大西洋からの風を受けて岬の突端に立つと、見渡す限りの大海原が眼前に広がりまさに“地の果て”を実感します。
▲ 左の絵:カボ・ダ・ロカ(イメージ)
- ここはCABO DA ROCA、日本語では一般的にロカ岬と呼ばれています。
- 岬には土産店兼レストランが1軒あるだけですが、有料の最西端到達証明書(€11)は是非記念に発行してもらいましょう。
- この国の代表的な芸術といえば、『アズレージョ』。
- アズレージョとは装飾タイルのことで、美術館、駅、教会、レストランの店内、はたまた民家の壁などいたる所で目にすることができます。
- アラブ語のモザイク片(光沢のある小石)を意味する言葉、或いは青色にするや装飾タイルを貼るといった意味が由来といわれています。
- 14世紀にイスラム教徒によってスペインにもたらされ、その後15世紀後半にセビリアからも輸入されるようになり、17世紀になると王宮や貴族の館では戦いや狩りの場面を描いたアズレージョがタペストリーの代わりに壁面を飾るようになりました。
- 18世紀に入ると、宮殿や教会だけでなく公共の建物や一般住宅にもアズレージョが使われるようになり、モチーフも風景画、神話、童話なども描かれる様になります。
前置きが長くなりましたが、右側の絵に刻まれた地名はOBIDOS(オビドス)。
- この国の首都から北へ車で1時間強、城壁に囲まれたこのオビドスの人口は800人ほど。
- “谷間の真珠”と呼ばれる絵のようにかわいらしい町で、夏には色とりどりの花々が軒先を彩ります。
- その歴史は、ローマ時代に海からの敵の侵入を防ぐため、砦が築かれたことに遡ります。
- 1200年代に、ここを訪れすっかり魅了されてしまった王妃のために、当時の国王がこの町を贈り、以降1800年代までオビドスの町は代々の王妃の直轄地となったそうです。
▲ 右側の絵:オビドス(イメージ)
- 街のメインゲートは、敵の侵入を防ぐため二重のジグザグ構造になっており、アーチ形の通路の内側は18世紀のアズレージョで彩られています。
- この門を抜けると城壁へ上る階段があり、城壁の上からは箱庭のような街全体の景色はもちろんのこと、背後には水道橋や風車も見えます。
- 城壁の上は歩くことができますが、幅が狭く、手すりもないのでスリルがあります。
- ちなみにオビドスの名物は、サクランボを漬け込んだ果実酒の“ジンジーニャ”。
- アルコール度数18~20%とワインよりも少し高めですが甘く、チョコレートと一緒に召し上がってみて下さい。
- またこの国は海と山の幸に恵まれており、特にタラ料理は調理方法が365日分あると言われるほど年中食べられており、『バカリャウ(干しダラ)料理』はこの国のソウルフードと言っても過言ではありません。
- またマカオに行くと街角のあちらこちらで売っている『エッグタルト』やカステラも有名です。
この他にも、置物やキーホルダー、アクセサリー、装飾品など様々な形で幸運のシンボルとしてマスコットとなっているニワトリ『ガロ』や、お土産にはイワシの缶詰やイワシの形のチョコレート、イカの詰め物、チーズタルトやオリーブオイル、そしてワインなど日本人の口に合ったものが沢山揃っています。
さて、この国と日本の関わりの始まりは、1543年に鹿児島県の種子島に漂着して鉄砲が伝来…と言えば、答えはもうお分かりですね?
大航海時代の牽引役となった国の1つ、ポルトガルです。
ポルトガル語に由来する日本語は、たばこ、かっぱ(レインコート)、ボタン、こんぺいとう、コップ、マーマレード、じょうろ、おんぶ、かるた、てんぷら…などなど枚挙にいとまが有りませんよね。
現在のポルトガルの面積は日本のおよそ1/4、人口は日本の約1/10です。
- 首都リスボンには、大航海時代のエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称えて、約1世紀をかけて完成した世界文化遺産のジェロニモス修道院。
- ポルトガルという国名の語源と云われ、ポートワインで有名な第二の都市・ポルト。
- ヨーロッパでも屈指の伝統を誇り、世界文化遺産に登録される大学のあるコインブラ…。
人生の歓びや哀しみなど“運命”を意味する伝統音楽の『ファド』を聴きながら、日本とのつながりも深いポルトガルで、暫し郷愁の想いに浸ってみませんか。