こんにちは、新潟トラベルです。
さて、今回の絵はどこの国かお分かりでしょうか?
少し話がそれますが、世界の空港の中では、地名ではなく“国の顔”として有名な人物名を正式又は別称として冠している空港がいくつかあります。
- 主なところでは、
- アメリカ・ニューヨークの「J・F・ケネディ空港」、
- フランス・パリの「シャルル・ド・ゴール空港」、
- イタリア・ローマの「レオナルド・ダ・ヴィンチ空港」、
- モンゴル・ウランバートルは「チンギス・ハーン空港」、
- インドネシア・ジャカルタでは「スカルノ・ハッタ空港」、
- 同じくインドネシア・バリ島デンパサールは「ングラ・ライ空港」、
- フィリピン・マニラは「ニイノ・アキノ空港」、
- 2017年に正式名称となったハワイのホノルルは「ダニエル・K・イノウエ空港」などが挙げられます。
そして今回ご紹介する国も、初代大統領で建国の父の名を冠し、イスタンブールの国際空港名を「ムスタファ・ケマル・アタチュルク空港」と呼びます。
前置きが長くなりましたが…さて、本題です。
この国の首都はアンカラですが、国内最大の都市であるイスタンブールは、黒海とマルマラ海を結ぶボスポラス海峡を隔ててヨーロッパ側とアジア側にまたがる東西文明の接点です。
ビザンチン、オスマンの二大帝国を通じてヨーロッパの中心だったこの国では、宗教上もキリスト教、イスラム教の全盛期を見守り続けてきて、その栄華が歴史遺産として数多く残されています。
オスマン帝国に君臨した歴代スルタン(最高権力者の称号)の居城である「トプカプ宮殿」、オスマン建築の極みともいわれる「ブルーモスク」、ローマ帝国時代に造られた大地下貯水池の「地下宮殿」、4,000軒以上もの店が所狭しと立ち並ぶイスタンブール最大のマーケット「グランド・バザール」など名所が数多くある中で、「アヤ・ソフィア」も人気のスポットです。
▲ アヤ・ソフィア(イメージ)
ローマ帝国時代にキリスト教会として建てられたものの、その後オスマン・トルコ軍により略奪されるなど翻弄された歴史を持ち、ビザンチン美術の傑作と云われるモザイク画の数々も500年もの間、漆喰で塗りつぶされていました。
現在はモザイク画も復元され「キリストを抱いた聖母マリア」をはじめ、多くの世界的な傑作を有する博物館として使われています。
この国の中部、標高1000mを超えるアナトリア高原の中央部に、キノコや煙突のような奇岩が広がる風景はまさに世界遺産と言えます。
- 3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちがここへ移り住み、柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を形成します。
- さらにはペルシャやイスラムの迫害から逃れるために、人々は深さ65mにもおよぶ巨大な地下都市まで造りました。
壮大な自然と巧みな人智による文化を併せ持ち、訪れる旅人の心に迫る歴史がここにあります。
▲ カッパドキア(イメージ)
- 東西南北およそ50km四方という広大な面積をもつトルコ最大の観光地「カッパドキア」では、是非珍しい洞窟ホテルに宿泊して、観光の目玉である気球に乗ってみて下さい。
- 気流の安定している早朝に出発する60~90分コースが主流で、4~11月はほぼ毎朝実施しています。
ホテルからの送迎付きで相場が日本円30,000円程度というのは、現地の物価からするとかなり高めですが、上空から朝日を浴びて見下ろす奇岩怪石の絶景はいつまでも心に残ることでしょう。
- さて、答えはもうお分かりでしょうか?
- アジアとヨーロッパの交差点であり、多くの歴史的・自然的魅力に溢れるこの国の名前は、トルコ共和国です。
- コロナ禍以前は、イスタンブールへの日本からの航空路線は直行便が成田・関西から就航していましたが、新潟からは大韓航空を利用して仁川空港経由が乗り継ぎ時間も短く非常に便利でした。
- 県内では柏崎市にトルコ文化村もでき、一時は珍しさもあり賑わっていましたね。
- 親日国として知られるトルコとは、今から130年程前の明治時代1887年に日本の皇族が当時のオスマン帝国の皇帝に謁見したことから友好関係が始まります。
- 帝国はその答礼として、1889年に650名もの使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号を日本へ派遣しましたが、帰国途中の和歌山県串本町沖合で台風の影響による高波と強風に煽られ、座礁、沈没してしまい、590名近くの犠牲者を出してしまいます。
- その際の近隣の住民たちの必死の救助活動により70名の命が救われ、日本国内でも大きく報道され、当時としては珍しい義援金も多く集められました。
その後 両国の友好関係を改めて感じられた出来事は、1985年当時は大きく報道されましたので、ご存知の方もいらっしゃると思います。
- イラン・イラク戦争が勃発し、フセイン大統領率いるイラクによる空爆の危機にさらされていたイランの首都テヘラン。
- 無差別空爆まであと48時間しかない…という絶望的な状況で、当時其処に取り残されていた多くの日本人は、何とかしてテヘランを脱出しなければなりませんでした。
- しかし他国の航空会社は自国民の搭乗を優先しており、また直行便のない日本からの救援機も安全上の理由から運航することができないという、まさに絶体絶命な状況にあった現地の日本人に、救いの手を差し伸べてくれたのがトルコでした。
もう36年も前のニュースですが、自国民を置いても215名もの日本人を搭乗させて奇跡的に救出してくれた出来事は、日本全国で大きな感動を呼んだことを覚えています。